魚捌けません。
血抜きのエラのどの部分を切るのか、その方法も知りません。
神経締めなんて、まるで神業か!と思うほどです。
僕の魚の持ち帰りスタイルは、氷と水道水で冷水を作り、その中に入れて「冷水締め」しています。
本当は塩分濃度を海水と同じにした水が理想なのですが……。
熱帯魚用の人工海水を買えばいいのですが、まぁ塩焼きくらいしかしないので、
いつも楽なスタイルで持ち帰っています。
今朝の鈴鹿サーフ。
タイドグラフを確認すると、6:30が満潮の潮止まり。
写真を撮った時間はちょうど潮止まりの時間帯なんで、海面が凪ってます。
満潮へ向けて潮が満ちてきてる時は波が高く、引き波も強いので、僕の釣りスタイルでは釣りにくいのですが、今朝みたいな状況が一番釣りをしやすいです。
……が、さすがに3度は寒すぎて釣りする気分にはなれませんね。
僕の中で基準があって、気温10度より下回ると寒さを強く感じるような気がします。
オフショアならまだまだ楽しめるんでしょうか?
友人がマイボートを所有していて釣行に誘ってくれるのですが、究極の乗り物酔いで船に乗れないので、オフショアの釣りは諦めてます。
幼少期から沖へ出てキスやカワハギを釣ってましたが、船酔いしまくりで嫌な記憶しかありません。
*究極とは、FFの車を自分で運転して車酔いするぐらい乗り物酔いします😢
先日、うちの実家に眠っていた古い帳面を発見しました。
表紙も擦れ、紙も茶色く変色した大正時代の資料です。中を開くと出てきたのは、
「賣薬行商届濟證(ばいやく ぎょうしょう とどけすみしょう)」
という、いまの薬販売許可証のようなもの。
発行されたのは 大正三年(1914年)12月5日。
110年以上前の、木田家の先人が使っていた本物の証です。
当時、木田家は 三重県員弁郡で売薬行商(配置薬の行商) をしていたようで、
専売特許局から正式に許可を受けて薬を売り歩いていた、
いわば “地域の健康を支える商い” をしていた家系だったようです。
帳面には、扱っていた薬の名前も残っています。
七厘散
頭痛薬
湿疹薬
腹痛止め
インナート丸
亀鹿丸
…などなど。
昔ながらの置き薬そのもの。
毎年の検印も押されており、数年にわたり商いを続けていたことが分かります。
でも、この資料を見ていてふと思いました。
「人の生活に寄り添う商い」という点は、今のライトタックル鈴鹿にも通じているな、と。
木田家は昔、
“地域の人が困ったときに役に立つもの” を届けていた。
今の私は、
“釣りという楽しみを気軽に味わえる道具” を届けている。
時代は変わっても、
「必要なものを、必要な人に、正直に届ける」
という姿勢は、どこか受け継がれているようにも感じます。
ただ古いだけの紙切れではなく、
木田家がどんなことをしていた家なのかを教えてくれる大切な記録。
これからも、こうした背景を少しずつ紹介しながら、
ライトフィッシング鈴鹿という小さなお店の歩みも、
丁寧に積み重ねていけたらと思っています。